消費税増税問題

自民党町村派の森元首相と町村信孝前官房長官、安倍元首相が2日夜、東京都内で会談し、派の結束を堅持していくことで一致した。麻生首相に批判的な中川秀直元幹事長を含む、代表世話人による集団指導体制を見直すかどうかをめぐり、意見交換したものとみられる。政権の足もとを揺さぶった町村派内政局は、収束をめざし最終調整に入ったようだ。

 同派は中川、町村両氏のほか、谷川秀善参院議員の3人が代表世話人を務めている。だが、中川氏が首相の消費増税方針を公然と批判し「政局宣言」をしたことから、森氏は、政権批判を続けるなら中川氏は代表世話人を辞めるべきだと主張。安倍氏も体制見直しに言及していた。

 一方の中川氏は1日、「派内の多くは3人代表世話人制のままでいてほしい。政策について自由に議論して結束していきたい。私はその大勢に従う」などと語っていた。

自民党最大派閥の町村派は4日、代表世話人3人による集団指導体制を見直し、町村信孝前官房長官が会長に就任する方向で調整に入った。複数の同派幹部が明らかにした。同じく代表世話人の中川秀直元幹事長と谷川秀善氏は現在のポストにとどまる。中川氏や一部の若手には集団指導体制見直しへの異論があり、流動的な要素も残っている。

 町村派幹部によると、5日昼の同派総会で、最高顧問を務める森喜朗元首相が代表世話人の町村氏を会長に昇格させる人事案を提案する
自民党最大派閥の町村派(清和政策研究会)は5日の総会で、3人いる代表世話人による集団指導体制を見直し、(1)派閥会長に町村信孝前官房長官を復帰させる(2)町村氏とともに代表世話人を務めてきた中川秀直元幹事長、谷川秀善参院議員の2人は続投する-ことを決めた。同派最高顧問の森喜朗元首相の提案によるものだ。麻生太郎首相の政権運営を批判してきた中川氏を、町村会長の下に位置づけて降格するものだ。

 森氏の提案には中堅・若手から異論が出たが、最終的には森氏の提案が了承された。

 町村派では、中川氏が消費税増税問題などで麻生太郎首相の政権運営を批判してきた。これに対し、首相を支持する森氏や安倍晋三元首相らが反発し、中川氏を代表世話人から外すよう動いていた。

 ただ、派内には慎重論もあり、森、安倍両氏ら幹部は、中川氏の肩書(代表世話人)を変えずに処遇することにした。

 町村氏は平成18年10月から同派会長を務めていたが、福田康夫内閣の官房長官就任したことで19年10月に会長職は廃止され、町村、中川、谷川の3氏の代表世話人の集団指導体制へ移行していた。

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3月末には首相が体調を崩した

ドイツ西部のヘッセン州で18日、今年9月に行われる総選挙の行方を占う州議会選挙が行われた。

 暫定公式集計によると、メルケル首相率いるキリスト教民主同盟(CDU)が37・2%を獲得し、第1党の座を維持した。

 CDUのライバル、社会民主党(SPD)は23・7%と大敗した。CDUは16・2%で第3党につけた中道・自由民主党(FDP)と連立政権を組む方針。国内では、メルケル首相が総選挙後の政権維持に弾みをつけたと受け止められている。

タイで11日、下院補欠選挙(被選挙数29)の投票があり、即日開票された。同日夜の選管の非公式集計によると、昨年12月にタクシン元首相派から政権を奪った民主党主導の連立与党が20議席を獲得し、元首相派など野党勢力は9議席にとどまっている。

 昨年12月に憲法裁判所が旧与党3党の解党と幹部の公民権停止を命じ、29議席が欠員になった。このうち13が元首相派の政党の議席だった。アピシット首相にとっては、就任後初の審判となった。

 この日はバンコク都知事選も投開票され、民主党公認のスクムパン氏が当選確実となった。

「べたなぎ政局」だという。自民党内に正面切って小泉純一郎首相にぶつかっていこうという実力者はいない。野党にも与党を追いつめ、倒してやろうとの意気込みは見えない。風もなく、波もない。緊張感に乏しい政治が続こうとしているかのようだ。

 昨今の永田町のはやり言葉である「べたなぎ」が言われた政治状況が過去にもあった。1990年の夏、海部俊樹内閣のころである。

 89年夏の参院選で、反消費税をかかげる土井たか子党首が率いる社会党に、宇野宗佑首相をいただいく自民党が地滑り的な大敗を喫し、与野党の勢力が逆転する。ポスト宇野で登場したのが海部首相だった。翌90年2月の総選挙でも自民党危うしの見方があった。政権選択が問われた2003年11月の総選挙に似て、自由主義か社会主義かの体制選択の選挙といわれた。

 選挙で敗北、過半数割れになれば、自民党は政権の座からすべり落ちる。ぎりぎり自民党が政権を維持しても選挙結果によっては党首交代となる。自民党は安定多数の275議席を獲得し、どっこい海部政権は持ちこたえた。

 激動を予想した向きは、すっかり力が抜けてしまった。自民党の一部にあった海部おろしの動きは、ぱたりとやんだ。野党も与野党逆転の参院の数をうまくいかせず、無力感に陥った。海部内閣の支持率は、うなぎ登りで90年6月には52%(日経世論調査)に達し、海部政権は発足時に言われた暫定政権ではなくなった。

 好事魔多し、は世のならいである。べたなぎのど真ん中にいた海部政権を揺さぶる出来事がおこる。90年8月2日、イラクがクウェートに侵攻した。群馬県嬬恋村の万座温泉で、夏休みに入ったばかりの海部首相はすぐさま帰京せず、様子見を決め込む。初動で失敗した。

 ブッシュ現大統領の父ブッシュ大統領からの“ブッシュホン”で同盟国として応分の貢献を求められた海部首相。それから、てんやわんやの大騒ぎとなる。海部首相は91年秋、党内最大派閥である竹下派の支持が得られずに政権を投げ出すが、そのはじまりは、べたなぎの中にあった。

 もちろん、歴史はいつも繰り返すわけではない。海部内閣当時のべたなぎモデルが、今日に当てはまるものではない。しかし、何となく対照して考えたくなる誘惑にかられてしまう。

 2003年11月の総選挙での政権選択は結局、変動なしで、政治の枠組みはそのまま続いている。自民党内から「次」は見えてこない。野党も国会戦略がはっきりせず、予算も早々に成立する。落ちるかに見えた内閣支持率も50%を回復、小泉人気はしぶとさを見せる。

 7月の参院選は、15年前の宇野内閣で失った自民党単独過半数の回復をめざす選挙戦となる。それには改選51議席を5議席上回ればいい。14、5年前の政治的な争点は消費税であり、イラクであり、父ブッシュが米大統領だった。現在、消費税は年金に通じ、イラクとブッシュは共通する。

 目を外に転じれば、自衛隊を派遣したイラク国内はいっこうに落ち着かず、サマワの自衛隊がテロの標的になる危険性は常につきまとう。日本国内でも、流言飛語のたぐいを含めてテロ情報が駆けめぐる。首相官邸が狙われる、地下鉄が危ない、新幹線爆破があるのでは……などなどである。

 国際情勢はどこか激動の連鎖を感じさせるものがある。韓国では大統領の弾劾決議が可決され、台湾では総統選で与野党の対立が先鋭化する。列車爆破テロがきっかけでスペインでは政権が交代、フランスでも地方選で与党が敗北した。パレスチナではイスラエルによるハマス指導者の暗殺で、きな臭さを増し、動乱のにおいさえする。

 小泉首相は一笑に付したが、3月末には首相が体調を崩したのではないかとの観測が流れ、一時、緊張が走った。周辺は、首相は花粉症に悩まされている、と説明するが、首相自らが「午前2時か3時ごろには、目がさめ、そのあと朝まで布団の中でじっと横になっていることがある」と明かすように、トップの座にある首相に相当なストレスがかかっているのは間違いない。

 政治の未来は、いつも現在の延長線上にある。べたなぎ政局のど真ん中に、必ず次が準備されている。その入力が、外からなのか、内からなのか、はたまた横からのなのか。なぎのあとには、風が吹き、風はときに嵐となるのだろうか――。

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下院の電気通信

次期米大統領Barack Obama氏の政権移行チームは米国時間1月8日、議会に対し、期限が迫っているデジタルテレビへの移行を先延ばしすることを提案した。この件にまつわる潜在的な問題に対応するため、議会のさらなる対応が必要だと警告している。

 The Washington Postの報道によると、政権移行チームで共同議長を務めるJohn Podesta氏は、上院通商科学運輸委員会および下院エネルギー商業委員会に宛てた書簡で、「非常に不適切な」移行を支援するために資金を拠出するよう呼びかけているという。

 折りしも、デジタルコンバータを購入するための40ドルのクーポンを国民に提供する13億ドルの資金が底をつき、10万人以上の国民がクーポンの配布を待っている状態だ。関係者は、2月17日に予定されているデジタルTVへの切り替えは大きな混乱を生むだろうと述べている。

 下院の電気通信およびインターネット小委員会で上級委員を務めるEd Markey議員(民主党、マサチューセッツ州選出)は、期日を再検討する価値はあると見ている。

 「数十万人もの消費者を暗闇の中に置き去りにするという事態が迫っており、(大きな戦略的課題はあるが)議会は、次期大統領の提案が実行可能かどうかを早急に検討する必要がある」とMarkey氏は述べる。

 Markey氏はさらに、議会はすぐにでも新しい法律を通過させ、クーポン配布を開始する必要があるとも述べた。

 上院通商科学運輸委員会の幹部委員であるKay Bailey Hutchison議員(共和党、テキサス州選出)など他の上院議員も、緊急処置として連邦政府のプログラムにさらなる基金を追加することを支持している。だが、Hutchison氏は、この時点で移行期日を延長することは賢明ではないと述べている。


この記事は海外CNET Networks発のニュースをシーネットネットワークスジャパン編集部が日本向けに編集したものです。海外CNET Networksの記事へ


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前方後円墳とともに消滅した

埴輪(はにわ)とは、日本の古墳時代に特有の素焼の焼き物[1]。古墳上に並べ立てられた。日本各地の古墳に分布している。

目次 [非表示]
1 概要
2 起源
3 変遷
4 意義
5 埴輪の例
6 関連項目
7 脚注
8 外部リンク



[編集] 概要
埴輪は、3世紀後半から6世紀後半にかけて造られ、前方後円墳とともに消滅した。基本的に中空である。造り方は粘土で紐を作り、それを積み上げていきながら形を整えた。時には、別に焼いたものを組み合わせたりしている。また、いろいろな埴輪の骨格を先に作っておき、それに粘土を貼り付けるなどした。型を用いて作ったものはない。中心的な埴輪には、表面にベンガラなどの赤色染料を塗布した。畿内では赤以外の色はほとんど用いられなかったが、関東地方では、形象埴輪にいろいろな彩色が施されている。 埴輪は、古墳の憤丘や造り出しなどに立て並べられた。 埴輪は、大きく円筒埴輪と形象埴輪の2種類に区分される。さらに、形象埴輪を大きく分けると家形埴輪、器財埴輪、動物埴輪、人物埴輪の四種がある。 埴輪からは、古墳時代当時の衣服・髪型・武具・農具・建築様式などの復元が可能であり、貴重な史料でもある。


[編集] 起源

形象埴輪(東京国立博物館)
テーマパークに復元された埴輪太陽公園(姫路市)埴輪の起源は、弥生時代後期後葉の吉備地方の首長のお墓であると考えられている弥生墳丘墓(例えば、楯築墳丘墓)から出土する特殊器台形土器および特殊壺形土器であるといわれている。 「特殊」と冠せらるのは、普通の壺や器台と違い、特に首長の埋納祭祀に用いられ、その大きさや装飾性のみならず、基本的には墳墓遺跡からしか出土しないためであり、吉備地方以外では出雲地方などに数例見られるのみである。

3世紀中葉〜後葉になると、畿内に出現した前方後円墳(箸墓古墳、京都府元稲荷古墳、兵庫県権現山51号憤)に特殊器台形土器・特殊壺形土器が用いられている例が確認され、それとほぼ時を同じくして裾部と脚部が消失した特殊器台形埴輪およびそれとセットをなす特殊壺形埴輪が新たに出現している。 この特殊器台形埴輪・特殊壺形埴輪の分布の中心は吉備から畿内へと移動しており、その出現に際しては畿内側の役割が大きかったものと推察されている。というよりも、埴輪の成立地を吉備に限るという見解は改めなければならない。

特殊壺形埴輪は当初特殊壺形土器の形態を受け継いでいたが、畿内の葬送祭祀に用いられていたと考えられる二重口縁壺からの影響を徐々に受け、二重口縁壺形土器をモデルとした壺形埴輪と置き換わる。こうして成立した特殊器台形埴輪と壺形埴輪の組み合わせが、器台のみを表した円筒埴輪と器台の上に壺を載せた状態を表した朝顔形埴輪の祖形である。特殊器台形埴輪から円筒埴輪への変化は、有段口縁と胴部文様の消失が指標とされる。この変化の背景について、祭祀用土器としての役割の消失に重きを見る説と、大量に製作する必要からの簡略化に重きを見る説がある。

参考になりました。

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日常生活の場としての拠点

2003年12月に、長崎県平戸市入口遺跡で「約10万年前の地層の中から石器が発見」と報道されたが、段丘発達が明瞭ではない平戸地域において、層位が明瞭とはいえない状況であり、約2万2、3千年前に鹿児島の錦江湾から噴出した姶良火山灰層(AT)より古いとしか断定できていない。2006年1月現在、日本の旧石器で層位が間違いなく確認でき、最も古いもので、4万年前まで遡るかどうかといった状況である。


[編集] 住居と墓制
日本列島の旧石器時代の遺跡は、台地・段丘・丘陵・高原などの見晴らしの良い洪積世の台地縁辺にあることが多い。

日常生活の場としての拠点遺跡、獲物の解体場遺跡、石器製作場遺跡などがある。定住住居跡の出土例が少ないことから、旧石器時代人は、一定の生活領域内を移動しながら採集狩猟生活をしていたと考えられている。

旧石器時代の人びとは多く洞穴や岩陰を住みかとして利用していたことが知られているが、そうしたなかにあって少ないながらも竪穴住居が見つかっている。大阪府藤井寺市のはさみ山遺跡の住居はよく知られている。

住居は、約2万2000年前の木材を組み木にして草や皮で覆ったもので、形の整った径6メートル、深さ20センチメートルの円形竪穴住居である。外周に柱穴をもつもので径10センチぐらいの材を20本近く、斜めに立て並べ、中央で簡単な組み木を施している。この住居跡からは、構造がよく分かったうえにサヌカイト製のナイフ形石器や翼状の剥片が約200点も一緒に出土している。

調理・暖房・採光のための石囲炉、地床炉、土坑炉などがあり、熱のために赤色化していたことで火が使われていたことがわかる。土坑の形態は多様で、貯蔵穴かどうか分かっていない。礫群は、こぶし大前後の川原石が径12メートルの範囲に数十個以上密集したもので、火熱を受け赤色化していて、調理施設に関連したものと考えられている。一個から数個散らばっている配石は、幼児頭大の礫で、火熱を受けた後がなく、厨房や作業台に使ったものと考えられている。

そのほか、死者を埋葬する土坑墓が見つかっている。死者の生前の装身具や石器・玉などが副えられ、そこにベンガラ(赤色顔料、べにがら)が残っているものがある。シベリアやカムチャツカ半島、東アジアでの死者を埋葬する習俗が遅くとも2万年前にはできていたらしい。呪術的なものとしてつくられたらしい高さ約9センチ、幅2~3センチの「こけし」形の石偶(せきぐう)が出土している。また、礫に細い線で動物を描いたもの(線刻礫)も見つかっている。旧石器時代の遺跡は、石器や剥片などの遺物が集中している箇所が複数、複数の礫群、配石と炉址、住居跡、土坑、墓坑などで構成されている場合が多い。集落の規模

構成はまだ分かっていない。

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